ごん太のふるさと
ごん太が生まれたところを私は知りません。
それは河川敷に捨てられた犬だからです。
平成11年の3月、木曽川の河川敷をうろうろしていた、もうすでに成犬と同じくらい大きくなっていたラブラドール犬を、消防学校の人たちがみつけて毎日餌をやって可愛がっていたといいます。
しかしいつまでたっても飼い主は現れず、保健所にも迷子の届けがありません。
そのまま殺処分にされるのを可哀想に思った父は、同僚と相談の結果、
ある日突然、家族には断りもなく、その大きな犬を連れて帰ってきてしまったのです。
「おまえらに世話かけん」
と有無を言わさず、全ての世話を一人でみていましたが、2年後の平成13年、ちょうど9.11の3日後のことでしたが、父は突然仕事中に倒れ、くも膜下出血により植物状態におちいり、再び起つことがありませんでした。
それ以来、私が「ごん太」の面倒を看ることになったのですが、彼が一体どんなところに捨てられていたのか、これまで見にゆくことも見に行こうとも思ったこともありませんでした。
奇しくも職場からの派遣で消防学校の訓練教育に参加することとなり、初めて父の最後の職場や、くだんの河川敷の土手をこの目におさめることができました。
父も、父を知る職員も、ごん太も、もうここには居ません。
何のめぐりあわせか3.11の5周年となる今日、
消防学校に掲げられた半旗を仰ぎ、大震災で亡くなった人々とともに黙祷をささげて参りました。
それは河川敷に捨てられた犬だからです。
平成11年の3月、木曽川の河川敷をうろうろしていた、もうすでに成犬と同じくらい大きくなっていたラブラドール犬を、消防学校の人たちがみつけて毎日餌をやって可愛がっていたといいます。
しかしいつまでたっても飼い主は現れず、保健所にも迷子の届けがありません。
そのまま殺処分にされるのを可哀想に思った父は、同僚と相談の結果、
ある日突然、家族には断りもなく、その大きな犬を連れて帰ってきてしまったのです。
「おまえらに世話かけん」
と有無を言わさず、全ての世話を一人でみていましたが、2年後の平成13年、ちょうど9.11の3日後のことでしたが、父は突然仕事中に倒れ、くも膜下出血により植物状態におちいり、再び起つことがありませんでした。
それ以来、私が「ごん太」の面倒を看ることになったのですが、彼が一体どんなところに捨てられていたのか、これまで見にゆくことも見に行こうとも思ったこともありませんでした。
奇しくも職場からの派遣で消防学校の訓練教育に参加することとなり、初めて父の最後の職場や、くだんの河川敷の土手をこの目におさめることができました。
父も、父を知る職員も、ごん太も、もうここには居ません。
何のめぐりあわせか3.11の5周年となる今日、
消防学校に掲げられた半旗を仰ぎ、大震災で亡くなった人々とともに黙祷をささげて参りました。
by cogito1961
| 2016-03-11 20:13